碓氷峠を歩く

■信越本線■
高崎〜新潟間の315kmの本線。日本列島を横切る形で通る。1885年に高崎〜横川を建設。1888年に直江津〜軽井沢間開業。93年に軽井沢〜横川が開業し、全通。1904年に直江津〜新潟が開業し翌年、上野〜新潟の直通列車が走った。1907年に国有化、87年にJRとなった。長野新幹線の開業により衰退、篠ノ井〜軽井沢間は第三セクターのしなの鉄道となった。現在は横川〜軽井沢間はバスによる代行運転を行っている。

■碓氷峠■
横川〜軽井沢間の急勾配区間。東海道の箱根よりも険しい。
上野〜新潟の開通を中山道経由で検討していたが技術不足により断念。その後、上野方面から横川、新潟方面から軽井沢まで開通し、1891年これらを接続するために着工。1893年に開通した。最大66.7‰(1000m進むと66.7m上がる)とい日本一の急勾配を通り、全国初のアプト式が開通した。線路と車軸のギアをかみ合わせて上る方法。非常に遅い。
通当初は蒸気機関車によるアプト式だった。負担を減らすため歯車を備えた空の貨車を連結していた。その後の電化に伴いEC40や初の純国産ED42などが牽引車となった。新線の完成に伴い今までのアプト式は廃止され、新線では粘着式を採用した。碓氷峠補機専用のEF63などが横川駅に配備された。重連で峠を越えた。平成9年、長野新幹線の開通により新線も廃止された。しかし新線の線路はあたかも現役かのようにきれいである。

碓氷峠
オシャレな横川駅
完全整備のコース。
駅を出ると早速アプト式の車軸が見られる。
今は横川駅〜碓氷第三橋梁は整備されており非常に歩きやすくなっている。駅から露天風呂のある峠の湯までは廃線を観光用にトロッコ列車が運行している。
ご覧の通りの急勾配(ていっても人や車にとってはどうってことは無いが...)。
66.7‰の標識。
旧丸山変電所

日本最初の鉄道用の変電所。説明版を見ると交流電流で交流モーターを回し、その力で直流発電機を回している様子。非常に原始的だ。トロッコ列車の唯一の途中停車駅。5分ほど止まってくれる。
トロッコは最後まで入ってくれない。あとは歩きで線路は無いが廃線跡を感じながらトンネルを潜る。峠の湯から先は五つの古いトンネルをくぐり美しい第三橋梁(通称メガネ橋)の上に出てくる。脇の階段から旧国道18号に下り、下から橋を見上げることができる。
トンネル内は明かりがついている。
第三橋梁。
橋上から粘着運転に使用され、結局廃止された新信越本線も見られる。

碓氷峠は完全に観光地化されており、帰りに温泉に入ることもできる。廃線にトロッコ列車なんかも走ったりしてもはや「碓氷峠のルネッサンス」である。紅葉の季節は観光客が多い。

個人的にはあまり廃線後はこんな風になってほしくない。なぜなら観光用に歩道なんか作ったり、施設を作ったり、トンネルの中に照明を着けると当時の面影が無くなってしまうのだ。第三橋梁上にあったはずのキロポストや第五トンネルのなかにあった小さな祭壇が無くなっていたのだ。本当に廃線を歩くにはヘルメットをかぶり、登山靴を履いて、懐中電灯を持っていく。それぐらいの覚悟で行くものなのだ。

鉄道文化むら

■鉄道文化むら■
横川〜軽井沢の廃止の為、横川駅の操作場をそのまま車両展示場にしたもの。EF63をはじめ、数十両の機関車・客車が展示されている。鉄道文化むらの周りにはトロッコ列車が走っている。信越本線の歴史を展示してある資料館がある。一見ありふれたの博物館に見えるが実はEF63の体験運転をやらせてくれるのだ!日本で唯一です!一日講習(30、000円)を受け、修了試験に合格すれば近日運転可能である(別途5000円)。回数を積むごとに推進運転、連結、重連(50回)などができる。公式ホームページ

入場口

アプト式で活躍したED42。
アプト式の歯車。
線路の中央に引かれているのが歯車。
粘着運転で活躍したEF63は事前の登録と講習で敷地内を運転することが出来る。
車庫。
数々の機関車が展示され、嘗て賑やかだった碓氷峠を物語っている。